株式会社 福正建設 - 新築・リフォーム・修理等住まいのことならなんでもご相談下さい:広島市安佐南区

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アーカイブ:2025年

FUKUMASAブログ

瓦屋根

 屋根と言っても様々な屋根が有ります。


板金で覆われた屋根。スレートという材質の屋根。瓦屋根など


我々日本人には幼い頃から馴染みのある瓦屋根。どんなメリットや意味が隠されているのでしょうか。






まず第一に、瓦は長持ちします。そのため、メンテナンス費用も抑えられます。

ただ、それ以外の屋根材に比べ少し割高にはなるので、初期コストはかかります。それでも長い目で見るとお得です。

瓦は重たいです。地震などによって瓦の重みに耐えられず家が倒壊してしまった、というような話もたまに聞きますが、それは基本的には、強度に対する決まりが課される昭和56年以前の建物が多いんです。

瓦が重たかろうが、しっかりとそれに耐えられる造りにしてしまえば何の問題もありません。


台風などで瓦が飛んでくるから気を付けろ!というのも瓦を固定するようになる以前の建物が多いです。

昔は建物の強度も今より低く、骨組みに対し、瓦の重さは今よりもだいぶ負担になっていました。

そこで、あまりにひどい地震などが起きた際には、その揺れで瓦を剥がし、落下させ、自然と屋根を軽くし、倒壊を防ぐ。そのために瓦は固定しない、という工夫がされていました。

なので本当に古い家の瓦は、実際に強風などで飛ばされかねないのです。





いま時は瓦もデザイン性が豊富で、軽い物も沢山あります。もはや、瓦=和風、という時代では無いですね。






瓦に限らずですが、屋根の一番高い三角の頂点に君臨する部分、そこを棟(むね)と呼びます。

そして、瓦屋根において棟の高さを確保する部分を、のし瓦、と呼びます。




実は江戸時代などでは、この、のし瓦の高さで地位(身分?)の表現をする事ができていたのだそうです。

ここが高ければ高いほど、リッチであったり、格式高い、など。


見栄を張ってここを高くした人もいたかもしれません。

あいつあんなに高くしちゃって(笑)  と、陰で笑われていた人もいたかもしれません。

或いは、何か基準が設けられており、誰でも好きな高さを選ぶことができたわけではなかったのかもしれません。








大工さんが、古いお屋敷の工事は大変だ、棟を跨ぐのに股が裂ける、と笑い話で言っていました。


古くから、3,5,7など、奇数は縁起が良いとされており、この、のし瓦も殆どが、奇数段になっているのだそうです。


知って見ると知らずに見るとでは、見える世界、感じる世界が全く違ってきます。


視点、価値観、考え方など、違って当たり前ですね。


世界をワクワクと、広く楽しく過ごせるだけの好奇心や知識を沢山手に入れることができると、今よりもっと心豊かになれるのかもしれません。

瓦からここに行きついたか、って感じですね(笑)

 

建前 ~600kgの大梁~

 只今住宅課ではとても大きな住宅を建てさせていただいています。


その建前の様子を少しだけご紹介します。






この建物は平屋にも関わらず、延床面積500㎡(畳で言うと300畳以上)ととても大きいので、全景を一枚に収める事が難しいです。


そして、そんな大きな建物なので、大きな間取りを設けるためには大きな梁が必要です。


そんな滅多にお目にかかる事のない大きな梁がこちら











長さが8メートル近く、重さ600kg以上もある、大きな大きな梁です。

一昔前までは、木造では作り上げることができなかった間取りも、最近では木材のカット技術が向上し、可能になりました。








大勢の大工さん達が力を合わせて組み上げていきます。





我々現場監督も気が抜けません。



休憩には大工さんと談笑をしたり、建材屋さんを交え作戦会議をしたり








そんなこんなで無事に建前を行う事ができました。


まだまだこれからですが、今から完成が楽しみです!(^^)!

 

 

工程表

 工事に入る前に、まず工事期間を決めます。お客様から、いついつまでに完成させて欲しい、というご要望が、大きな工事になるほど、ほぼ必ずあるものです。


そのご要望に応じて現場監督は工事の段取りを始めるのですが、工事に取り掛かる前に絶対に作成するのが、 ”工程表” です。









完了に合わせて逆算し、各業者をどのタイミングで入れ、何日でこれとこれの作業を終わらせ、スムーズに次の業者を入れる。それの繰り返しにより工事は進んでいきます。


ふと、これで人生の工程表を作ったらどうなるだろう? と考えました。


結局、同じようにゴールからの逆算で目標に対する取り組み方を決め、それに忠実に生きる。


見える化する事により、 ”工程表” を作成する人、しない人で大きな差がついていくでしょう。


明確に生きる人、漠然と生きる人、色々な生き方がありますが、明確にブレずに生きていくというのは、誰でもできるものではないでしょう。これも才能の一つです。


松井秀喜が言っていました。


努力できるというのは、努力できる才能に恵まれたからだ


目に見えないものは、多くのことが、根性論でまとめられ、出来ない人はヤル気がないだけ。そう白い目で見られがちですが、そんなことはない。


親になり、多くの子どもを見ている中で、そのような考えに至りました。


その中で、 ”工程表” は、苦手な人ほど有効活用できるな、と、そう思いました。


自分は、もちろん全て得意なので工程表など作りません(ΦωΦ)



ここからは、老害にならない努力一本です!!

 

安全靴の歴史

 安全靴。現場では着用が義務化されている足の指付け根辺りから爪先までを守る、いわゆる現場靴です。

現在ではオシャレなデザインになっていますが、そんな安全靴の歴史を調べました。









さて、安全靴はどのようにして始まったのでしょうか?

 
時代は戦後まで遡ります

昭和22年頃から日本の復興を目指し、建設ラッシュ、鉄鋼業が盛んになりました。

 

必然と労働者の安全確保や作業性から、安全靴が求められるようになり、国内でも安全靴の試作が始まりました。

安全靴は戦後の日本経済発展にも貢献しているのです。


安全靴の研究が始まるまでは、草履のつま先部分にかまぼこ型の補強をした、つま先保護だけの簡易的な履きもので危険な作業をしていました。

 

昭和22年(1947年)頃に、靴底に進駐軍払い下げの自動車タイヤ、甲被には同じく払い下げのズック(帆布)を使用し、つま先部分に軟鋼板の先芯を入れた靴が完成します。


まだまだ安全靴と呼べるには遠く、お粗末な靴だったようです。










昭和26年(1951年)には、労働省安全課担当者がアメリカ視察で持ち帰った米国製の安全靴を参考に、正式に安全靴の研究が始まりました。


昭和47年(1972年)には現在の安全靴規格の元である安全靴のJIS規格(JIS T8101)が制定され、性能基準が定められ、この年に労働安全衛生法が施行

労働者に安全靴や、作業に適切な履き物の着用が義務となりました。


安全靴とひと口に言っても、作業内容によって素材、形状、必要な性能が変わってきます。様々な業種で着用されるので安全靴の種類も増え、使用シーンによって使い分けることができるようになりました。

また、災害時の防災靴としても注目されています





面白いですね。草履に工夫を凝らして安全性を高めた靴、というよりも、安全サンダルのような代物を作り、それを履いて危険な作業をしていたというのが、時代を感じさせると共に、現在の安全靴の有難みを実感させてくれます。


何においても、そのもののルーツやプロセスを知ることにより、改めて現在の "それ" と向き合うキッカケになるというのが、また味わい深いですね。


私は、歴史というものに殆ど興味が無く、小4で社会という科目に別れを告げたのですが、安全靴をキッカケに歴史の楽しみ方というものが少し見えたような気がしました。

かといって別にヨリを戻す気になったわけではありませんが。


安全靴のみなさん、これからも私の爪先をひとつよろしくお願いいたします。


ひとつって何だ??

調べましたが、割愛で。

 

 

お年玉

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。


年が明けるとゴールドラッシュ到来!! 子ども達にとっては、どストレートに現金が貰える一大イベントです。


さて、お年玉、今時は電子マネーで渡すなど、少し味気ない渡し方も増えているのだとか。


お年玉を渡す対象の年齢は様々です。何歳まで貰えるのか、というのも家庭により様々だと思います。


そんな調査をした学研さんのデータがありましたのでコピペで紹介したいと思います。



学研キッズネット編集部の調査によると、未就学児から高校生までのお年玉の金額は、1,000円~2万円と幅があります。未就学児から高校生までに渡したお年玉の金額の相場は下表をご確認ください。
学年ごとのお年玉の金額の1位を見ると、小学生までなら3,000円、中学生は5,000円、高校生は1~2万円が相場のようです。

なお、マネ会 by Amebaの調査によると「お年玉をあげない」という回答は約25%にものぼっていました。その理由としては「経済的に苦しい」といった事情があるようです。

 




以外にも、渡していないというのが多く驚きました。


子どもの頃は、お年玉が嬉しくてたまりませんでした。その感覚を強く覚えているため、個人的には子ども達にも同じようにしてあげたい派です。



年代別の単価ですが、概ねイメージと似たような金額でしたが、高校生の2万円はリッチですね。


母方のおじいちゃん、おばあちゃんが早くに亡くなってしまったので、、その分少し多めに入れてくれるなどの気を遣って貰った経験もあります。


羽振りの良い人のお年玉はワクワクしたものです。


現実的に追いつくなら、羽振りの良いおじさんやおじいちゃんになりたいものです。


ただ、親の間は、与える相手の親との金額のバランスも考えなくてはならないので少し難しい問題もあります。


相手の親が渡さない派であれば、その相手の子に渡してあげる事すらできません。


これは、与えたい派の自分にとってはとてつもなく残念な瞬間です。



与える金額の上限が解除されるのは、おじいちゃんになった時ですね。


無敵おじいちゃんは偉大ですね。(笑)